俺は如何にして底辺となりし乎

今日は夕方からUber Etas配達をやってきた。
夕日の街を自転車で走るのは寂しいけど気持ち良いな。
土日はどうせアパートでダラダラしてるだけなので、Uber Eats配達やったほうが心身の健康にも良いしUber Eats 配達は「働いてる」って感じはしないんだよね。

一般的に見れば、平日働いて休みの日はUber Eats配達をやるのは底辺なんだろうな。
俺は底辺中年だから間違っていないけどね。

今日は俺が何故底辺になったのかを考えてみたい。

今になって考えてみれば、とにかく忍耐力が足りなかった。
いや、「足りない」などと言う生易しいものじゃない。
「ゼロ」だった

誰でも「好きな事」は時間を忘れて集中できるが、「嫌な事」を頑張るのは苦痛だと思う。
俺は「嫌な事」を頑張ることが極度に苦手だった。




とにかく学校が嫌い、教師が嫌い、勉強が嫌いだった。
俺が小学校の時、泣きながら「勉強したくない」と両親に訴えたことがある。
その時は「人生は嫌いな事で努力しなければいけない」と父上にきつく言われた。
俺は人生に絶望した。
大嫌いな学校に行き、大嫌いな教師の言うことを聞き、大嫌いな勉強を続け、将来は大嫌いな仕事を我慢して続けなければならないのかと。

小学生の夏休み、またも俺は本当に勉強が嫌でやりたくないと涙ながらに訴えた。
両親は何かを感じ取ったのか、「勉強は最低限でいい」と言ってくれた。

親なら子供の将来のために無理矢理でも勉強をさせた方が良いという意見もあるかも知れないが、この時の両親の決断には感謝している。

勉強から解放されたのだ。

ただ、当然のことながら代償は負うことになる。
嫌な事を避ける性格が完全に出来上がってしまった結果、今まで何度となく仕事をバックレてきた。
そして今の俺が出来上がった。

ただ、非正規雇用でも生きていける。




ランキング参加中↓
にほんブログ村 その他日記ブログ フリーター日記へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加