俺は如何にして底辺となりし乎

今日は夕方からUber Etas配達をやってきた。
夕日の街を自転車で走るのは寂しいけど気持ち良いな。
土日はどうせアパートでダラダラしてるだけなので、Uber Eats配達やったほうが心身の健康にも良いしUber Eats 配達は「働いてる」って感じはしないんだよね。

一般的に見れば、平日働いて休みの日はUber Eats配達をやるのは底辺なんだろうな。
俺は底辺中年だから間違っていないけどね。

今日は俺が何故底辺になったのかを考えてみたい。

今になって考えてみれば、とにかく忍耐力が足りなかった。
いや、「足りない」などと言う生易しいものじゃない。
「ゼロ」だった

誰でも「好きな事」は時間を忘れて集中できるが、「嫌な事」を頑張るのは苦痛だと思う。
俺は「嫌な事」を頑張ることが極度に苦手だった。




とにかく学校が嫌い、教師が嫌い、勉強が嫌いだった。
俺が小学校の時、泣きながら「勉強したくない」と両親に訴えたことがある。
その時は「人生は嫌いな事で努力しなければいけない」と父上にきつく言われた。
俺は人生に絶望した。
大嫌いな学校に行き、大嫌いな教師の言うことを聞き、大嫌いな勉強を続け、将来は大嫌いな仕事を我慢して続けなければならないのかと。

小学生の夏休み、またも俺は本当に勉強が嫌でやりたくないと涙ながらに訴えた。
両親は何かを感じ取ったのか、「勉強は最低限でいい」と言ってくれた。

今日も昼過ぎからビールを飲んだし、今も飲んでいる。いい感じに酔っ払っている。今日は実家に帰って父上のお墓参りに行ってきた。兄上夫婦は昨日のうちにお墓参りを済ませて、今日から旅行に行っているので母上と水入らずの時間を過ごしたよ。お墓には父上の親戚とか何十人のお骨が入っている。全員の名前と享年が刻まれているんだけど、戦死した人が多いんだなぁ。戒名が南洋院…って人がいて、享年30歳で伍長って書いてあった。母上が言うには、南方に行く途中の輸送船が沈んで戦死したらしい。(父上の家系なので母上もあんまり詳し...
高校野球と父上との思い出 - 一生非正規雇用で生きてくブログ

親なら子供の将来のために無理矢理でも勉強をさせた方が良いという意見もあるかも知れないが、この時の両親の決断には感謝している。

勉強から解放されたのだ。

ただ、当然のことながら代償は負うことになる。
嫌な事を避ける性格が完全に出来上がってしまった結果、今まで何度となく仕事をバックレてきた。
そして今の俺が出来上がった。

ただ、非正規雇用でも生きていける。




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