実家から戦時中の写真をもらってきた

今日は朝イチで実家に帰って、ダラダラと過ごしてきた。
家族は変わりなく元気で良かったよ。
いつも通りの帰省だったけど、今回は父上(故人)が持っているアルバムをもらった。

かなり昔に、父上の父上(俺の祖父)の事を書いたけど、祖父は軍人だったけど国内で事務仕事をしているうちに終戦を迎えた。

俺が中学生の時に父方の祖父が亡くなった。陽気で優しいおじいちゃんだった。祖父は自分の長男家族と同居していた。ある夏の日、祖父の長男家族が用事で数日出かけることになったため、俺の父上が祖父の家(父上からすれば実家)に泊まることになった。祖父はボケてはいなかったので1人で留守番しても良かったらしいが、心臓の病気をしたので万が一に備えて父上が一緒にいた。*ここからは父上の話しを元に書きます。夜のニュースで戦後50週年?の番組をやっていた。そこで東条英機の顔写真がテレビに写った。  (adsbygoo...
不思議な体験4 死期を知った祖父 - 一生非正規雇用で生きてくブログ

祖父の兄弟や親戚は戦地に行った人が多く、その時の写真を見せてもらった事がある。
その時のアルバムをもらってきた。
ただ、父型の親戚筋なので母上はあんまり詳しくない。

分かったことは、獣医と皇宮警察の人が祖父の近い親戚にいたということ。
やっぱり俺の血筋は優秀だわ。
俺がこんな失敗作でご先祖様には申し訳ない。

俺が子供の頃に見せてもらった写真はもっと多かった気がする。
戦闘機に乗った人の写真とかあったはず。
母上の記憶だと、俺の父上が死んだときに父上の親戚の人に渡したようだ。
失くしたり捨てたりせず、欲しい人の元に渡って良かったよ。

貰って来た写真の一部↓

昭和19年の獣医部将校研修会って書いてある。
場所は北京市。

親戚の獣医さんが映ってるはずだけど、この写真じゃわからないな。
次の3枚は獣医さん。

次は皇宮警察の人。
ちなみに、左右のどちらが親戚なのか母上も分からないと言っていた。

メモには天津と書いてある。
当時の満州?
母上の記憶だと、親戚の人は外務省の所属だったらしい。
皇宮警察って外務省なの?

他にも写真はあるし、父上の親戚の人と会う機会があったら聞いてみよう。

昔の写真を見て家族で楽しい一時を過ごせた。
来週一杯は夏季休暇なので、思いっきりダラダラ過ごす予定。

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